その2(駅係編) |
2002年10月16日公開 |
| それら駅の業務や、運行体制はどうなっていたのでしょうか。古い時代についてはよく分かりませんが、さいわい、私鉄化前夜といえる昭和38年の三池港務所の組織図が社報(『三池時報』)にあり、興味深い資料なので以下に書き出してみました。なお、信号所名称は別の会社資料から補いましたが、多少新しいもののようで該当がないものがあります(−で示した)。 当時、三池港務所運輸課の運転現場には機関庫係と駅係があり、機関庫係はその名の通り機関車運転を担当、駅係は三係に分かれ、それぞれが停車場−信号所−停留所−踏切と、通勤列車を管理しました。この中で面白いのは万田駅で、唯一駅係ではありませんが、これは他駅係が貨物扱い主体なのに対し、もっぱら運転(万田分庫)のためという位置づけが分かります。
さて、私の訪ねた平成時代には運輸課が鉄道課へ変わっており、まだ駅係と機関庫係という体制が維持されていたのか聞きそびれましたが、本線の運転内容が2往復(金田向け石炭発送のみ)にまで減便されていたので、ぐっと単純化されていたようです。 駅係員(?)は三池港駅、四ツ山駅、宮浦駅、旭町駅に配置されていましたが、事実上、三池港(四ツ山駅および万田を管理)、宮浦(旭町駅および三池浜管理)というふうに2部署化していたように思われました。 また、機関庫は三池港駅にありましたが、やはり実際は三池港駅持ち(45トン電車・20トン電車)、宮浦駅持ち(20トン電車)に分かれ、それぞれの駅を起点に仕業が設定されていました。 |
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上表、宮浦駅が通称、浜線(三池浜〜宮浦)を管理していますが、本線(三池浜〜三池港)を通しで運転するダイヤがなく、三池浜駅(三井バーディッシュ)の貨車扱いは宮浦駅の仕業(20トン電車)となっていました。 ちなみに、平成4年会社資料によれば、三池港駅と、四ツ山停車場・宮浦停車場・旭町停車場となっています。駅と停車場の区別は分かりませんが、駅名板は〜駅となっていました。 すでに無人だった三池浜駅や万田駅は駅としては抹消されていたようです。
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