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宮浦駅のあちこち
宮浦駅ホーム
勝立線
2005年3月6日公開

Miyaura-station(Katsutachi-Line)


 勝立線宮浦駅(通勤ホーム)が、宮浦ヤードの港側外れに半ば崩れたまま残っていました。

 年表によれば、勝立線の通勤輸送は昭和21年7月に開始とあります(コハ形・ホハ形の登場以前であり、どのような客車が使われたのか不明)。東谷や馬渡地区から宮浦坑への通勤輸送が目的で、通勤線としてはもっとも早い開通です。宮浦坑は、古い第一坑は翌年に閉坑となりますが、大正12年開鉱の新斜坑が主力坑口として稼動していました。

  『世界の鉄道 ’69』(朝日新聞社編)に面白いデータが載っていました。昭和43年3月調べとして、勝立線の旅客運行本数は平日38本(休日14本)とあり、玉名線と同等の輸送力を確保しています。閉塞方式が空欄となっているので、一列車のピストン運転を行っていたようです。なお、すでに勝立線には貨物列車の設定はなく、完全に通勤線化していたことも分かります。

 昭和43年に宮浦坑の閉坑(三川坑と統合)によって、通勤輸送が実質不要となり、12月勝立線廃止許可、翌44年1月4日勝立線廃止によって通勤輸送も終了しました。廃ホームは30年以上、その姿を留めていたことになります。

<関連ページ>運輸成績(旅客)宮浦の20トン電車その2




(1991年3月宮浦)宮浦駅ホーム跡前をゆく返空ホサ列車(三池本線)。しばらくして本線は単線になります。



(1996年2月宮浦)港方向を望む。線路際が撤去されて、半壊という状態でした。柱跡から上屋があったことがわかります。当時、ホームに面した(はずの)線路はTDI工場へと通じていました。遠くにTDIタンク車が霞んでいます。現在はコンテナ線としてコキ200が入線しています。



(2005年2月宮浦)ホームは完全に撤去。金網がホーム跡をなぞっています。


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