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万田駅のあちこち
2003年3月19日公開
Later years of Manda station

 万田坑からの石炭積出駅として、明治33年頃に設置されたと思われる万田駅ですが、昭和26年の万田坑の閉鉱後、その後については万田分庫の廃止、宮浦〜万田間の単線化、通勤列車の廃止を経て、私が訪ねた頃には、万田駅としての最後の一線を残した光景が見られるだけでした。

 もっとも、ここでは便宜上、万田駅と呼んでおきますが、正確にはもはや「駅」ではありませんでした(路線図その2参照)。では何だといわれると窮しますが、三池本線の単線から複線区間への切り替え施設として、無人の信号所として扱われていたものと思われます。
 ただ、万田〜四ツ山間の複線区間ですれ違う列車設定はなく、律儀に上り下り列車を振り分けるのも過剰設備化していたのが実情でしたが。一応、ダイヤにも記されていましたので、運転上は通過点のような存在だったのでしょう。

 鉄道模型では本線上にこんなポイントを置くと現実的でないと指摘されそうです。

1992年8月万田
(1992年08月万田)本線の単線−複線の切り替えが、万田駅最後の仕事。
たったひとつのポイントと信号小屋が全ての施設でしたが、このころは定期貨物(ホサ列車)が一日4回通過しました。もちろん、列車はノンストップで通過していきます。

(1997年10月万田)鉄道廃止半年後の万田駅。
万田〜四ツ山間の単線化は平成6〜7年頃に行われ、上り線が撤去されたので、ポイントは反位に固定されていました。
1997年10月万田

熊本百景

(絵葉書より)万田坑と万田駅を組み合わせた定番絵葉書。大正から昭和初めの光景と推測され、万田坑がもっとも隆盛した時代です。
万田駅は一番手前に複線の三池本線と、側線からなる操車場で、第一坑(手前)と第二坑の間に選炭場と積込ホッパーがありました。現在ではこのような見晴らしのある光景は望めず、果たして最後のポイントがこの写真のどの辺りに当たるのか、俄かには判断できません。

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万田第二坑を通過する石炭列車