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万田駅のあちこち
万田第二坑
2003年04月21日公開

Mitsui-Miike Manda coal mine

 万田坑については、今では産業遺産として国史跡に指定され、沿線随一の名所として今更ながら説明を要しませんが、明治30年開鑿に着手した当時から東洋一の炭鉱、模範となる炭鉱を目指していただけあり、その威容は一線を画するものがあります。趣味的に見ても、三池初めての坑内電車の使用など興味深いエピソードが多い坑口です。
 また、当時の三井鉱山も三池を代表する坑口として大いに宣伝に努め、また折からの絵葉書ブームにのって明治から大正にかけて坑内外とも多くの写真が残されています。
 
(1996年02月万田坑)周囲の施設や炭住はほとんど撤去されたため、枯野が広がるばかりでした。
 往年については別ページに譲るとして、最近では期間限定ながら構内の一般公開も行われましたが(*1)わたしが訪ねた頃はまだ現役坑でしたから、外から控えめに撮っただけです。とりあへず晩年の万田坑としてアップしましょう。

 本来、万田坑には第一坑(揚炭)と第二坑(人員)があり、鉄道とのかかわりは第一坑がメインでしたが、出炭は昭和26年で終了し、 まもなく第一坑ヤグラは解体されました。また、汽缶場や選炭場といった周辺施設も撤去されたため、万田立坑として現存するのは第二坑ヤグラと巻揚室の一角ということになります。

 万田坑は数少ない熊本県下の炭鉱ですが、実際はほぼ県境に位置します。地図上では大牟田側からは三池鉄道に阻まれて万田坑前に抜ける道が見当たりませんが、鉄道線の下に地下通路の入口が開いていました(*2)。何の案内もないので最初は恐る恐る入りましたが、三池本線と万田坑構内を一気にくぐると(途中、いくつか天窓が設けられていた)、門跡の前に出ました。これが旧正門でした。さらに目指す第二坑との間にはぽっかりと空地が広がっていましたが、あとで脱衣場跡と知りました。

 当時、第二坑は坑内排水などの保安坑として余生を送っていましたが、中からは物音ひとつせず、忘られたような静かな光景でした。失礼ながら廃館という言葉を思い出しました。いつも正門は閉じられていましたが、柵越しに覗くと坑外軌道が横切り、錆びついた鉱車が放置されているのが見えました。

(*1)平成15年3月の万田鉱活用市民祭りなど。
(*2)現在は通行不可。万田炭鉱館パンフレットによれば、通称桜町トンネル、昭和8年の設置。




(1993年3月万田坑)万田坑はこちらが正面。ヤグラ手前の建物が巻揚室。イギリス積みのレンガ建造物。正門前の空地も元構内で、脱衣場の跡地。また、塀づたいに左手に進むと、汽缶場の煙突基礎が残っていました。



(1997年10月万田)廃坑と廃線。鉄道側から見た万田坑は、塀を越えんばかりの蔓草の向こうにヤグラが覗く光景でした。

万田坑略年表

明治30年11月 第一坑開鑿着手。
明治31年08月 第二坑開鑿着手。
明治35年02月 第一坑着炭。
明治36年03月 第一坑操業開始。
明治42年03月 第二坑運転開始。
昭和26年09月 三川坑に統合(万田坑閉坑)。
昭和29年06月 第一坑やぐら解体、芦別鉱業所へ。
昭和51年02月 煙突解体。
平成09年03月 第二坑坑口閉鎖。
平成10年05月 国重要文化財に指定。
平成12年01月 国史跡に指定。
(万田炭鉱館パンフレットより抜粋)
(1997年10月万田坑)正門の表札。


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