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石炭列車のあちこち

形式ホサ8100

2002年10月30日公開

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 金田向け石炭列車の主役ホサ8100は、唯一のホサ、石灰石ホッパーから石炭ホッパーへの転身、そして数少ない私有石炭車として九州名物のひとつでしたが、車輌自体は至極まっとうなホッパーカーでした。

 ホサ8100は、昭和58年にホキ8100の種別変更により生まれました。車体はそのまま、比重の軽い石炭への積み換えにより、荷重が38トンから20トンへと半減しています。このホキ8100は、昭和48年に三井鉱山が麻生セメント船尾鉱山を買収した際に増備した石灰石ホッパーで(*1)、昭和49年に日本車輌で33両が製造されました。セキタイプ(W型断面の側開きホッパー)として標準形式のホキ2500と比べると、外見上、両端にデッキが付いたのが最大の特徴です。デッキの分、車長が延びてちょうど10メートルと僅かにスマートになりました。

 さて、ホキからホサへの転身は、種別変更による荷重減のみと思われましたが、いくつか外見から分かる変化が見つかりました。
1)実容積が23.8から25.0立方に修正されています。石炭の比重は0.8で、無修正では19トンしか積めません。20トン積みとするために見かけ上の実容積を増したようです。
2)製造当初、側板上縁にホキ2500(2次車以降)同様の手すりがありましたが撤去されています(ホキ時代?)。
3)側扉のちょうど台車中心上にコ型の取っ手?、および側面中央に吊輪が取り付けられています。用途は不明ですが、ホサ時代の取り付けと思われます。

 ホキ時代には山元から港へ石灰石輸送、ホサ時代には港から山元へ石炭輸送と、鮮やかな世渡りを見せましたが、平成4年10月の輸送廃止で間もなく廃車されたようです。

*1)社史『男たちの世紀』より「輸送力増強のため、新たに69両の貨車を購入し、輸送業者のトラックとともに新しい三井の社章を取り付けた」とあり、ホキ8100の33両新製のほか、麻生セメントからホラ1、ホキ4200を譲受したと思われます。この点、ご存知の方はご教示ください。

90年03三池港ホサ

(90年03月三池港)ホサ8111。荷卸しのガンガン叩きのせいでしょうか、側扉はベコベコになっていました。側板目一杯の社紋が印象的。
91年03月宮浦ホサ

(91年03月宮浦)トップナンバーホサ8100。ホキ2500にデッキが付いたといえばそれまでですが、台車(TR41E)や開戸装置の位置、各部寸法は微妙に異なり、また自動開閉装置は省略されています。
91年03月大牟田ホサ

(91年03月大牟田)上から見たホサ810?。側面からは見えない側板を結んだ2本の支持棒が分ります。手前デッキは側扉の操作用ですが、操作時以外、写真のように丸ハンドルは外されました。

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関連ページ
<万田第二坑を通過する石炭列車>