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石炭列車のあちこち

ホサ列車追跡その2

2002年11月01日公開

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(つづき)
 金田向け石炭列車(ホサ列車)は、三池本線(宮浦〜四ツ山間)最後の貨物列車でした。
 平成4年、夜行列車を常宿に半日撮り歩いたのが、ホサ列車最後の夏になってしまったのは全くの偶然でしたが、本人はそんなことは露知らず、せっせと通っていたわけです。前年のメモには石炭発送は増加傾向にありと書いているぐらいですから、まったく暢気なものでした。

 下図は、平成4年ダイヤをもとに実際の荷姿を加えたものです。具体的には港仕業と称した45トン電車(1台使用)の1日の運行図となります。ただし、一日一列車を追いかけたわけではなく、日毎場所を代えての確認でしたので、特定日というわけではありません。とくに旭町線(宮浦〜旭町)はタンク車と輻輳とするため、その多寡によって列車の集約や分割があったようでした。

 単純なダイヤなので説明を要しませんが、午前に返空1往復、午後に発送1往復がホサ列車の基本スジでした。それぞれ片道は単機回送です。このほか、昼時に前送り1往復(三池港〜宮浦)が設定されていました。前送りとは発送ホサを宮浦駅まで先置きする列車でしたが、本線の牽引定数が関係していたと思われます。ただ、あくまで予備のスジだったようで、実際は返空スジに前送り分(ホサ2〜3両)が増結されていました。

(つづく)



 金田向け石炭列車最後の運行図として平成4年ダイヤから港仕業を図式化したものです。このほか20トン電車を使用する宮浦駅からの仕業1往復(宮浦〜旭町)が朝一にありましたが、上図では略しています。
 旭町線内は、タンク車の多寡によって、列車設定に多少の融通があったようです。平成3年3月の旭町踏切でのメモによれば、ホサとタンク車は別個列車に分割されていました。



(92年08月妙見)3両のホサを連れて、まもなく妙見陸橋をくぐる20号ホサ列車。前送りホサは宮浦駅で解放され、単機回送となって仮屋川操車場へ向かいます。

92年08月旭町

(92年08月旭町)仮屋川操車場からタンク車+返空ホサを引き出します。ちょっと分かりにくいですが、18号の後ろにタンク車4両、そこから返空ホサ・セキが長々続いていました。

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関連ページ
<万田第二坑を通過する石炭列車>
<形式ホサ8100>